“好き”とは

昔、推してたアイドルグループが急に面白く感じられなくなって他界したことがある。それなりのキャパの大きさで、歌もダンスも上手くて顔もかっこいいが、どうもライブ中の目線が気になってしょうがない。

 

この人たちこんなにうわの空で踊る人たちだっけ?

 

 

ライブも、オタクがメンバーが踊ってるのを一方的に見ているだけというか、いやオタクが参加できる演出がないとかではなく、そもそもこっちに興味なさそうというか。“目は口ほどにものを言う”とはよく言ったもので、表情もいまいち演目に集中してるようでもない、笑顔になっても目だけは死んでて、その前のツアーで楽しそうに歌って踊ってたあれはなんだったんだ?別人だったのか?と思うほど。

 

そのくせMCではオタクに向かって「好きだよ」と言っては黄色い声援をもらってたりして。

え、オタク、こんなとってつけたような「好きだよ」で沸けるんだ。
あんなに死んだ目で踊ってるのに?

 

私にはわからなかったのでそのままフェードアウトした。ファンクラブの更新をした半年後の事だった。
わからないなと思った1年後くらいにぼろぼろとメンバーが脱退して苦労を強いられていたがそれはまた別の話。

 

 

トレンディドラマの金字塔である「東京ラブストーリー」、芦田愛菜の演技力が話題になった「mother」弦楽四重奏を組む大人4人の恋模様を描く「カルテット」など、様々な名作を手掛ける脚本家の坂元裕二先生が、2018年、NHKのドキュメンタリー番組で語っていた話が大好きなので文字起こししておく。*1
「脚本ではあえて日常の細かい会話を書き込む」という話題の流れで、先生が紙にペンで「スキ」という文字を書くところから話が始まる。

こう、紙に、「好きです」って書いても「好きです」っていうのは伝わらないんですよね。ここを書くんですよね、ここを(と言って『スキ』という文字の周りを塗りつぶしていく)。周りをどんどんどんどん塗りつぶしていって、これが脚本を書くって作業で。

「私 この人のこと好き 目キラキラ」みたいなのは違うと思うんですよね。

バスで帰るとき車中で雑談をして、「今日は風が強いね」とか「前のおじさん寝てるね」「うとうとしてるねー」っていって、じゃあねっていって家ついて一人でテレビ見ようかなって思ったけどテレビを消して、こうやって紙を折りたたんでるときに「ああ 私 あの人の事好きなのかもな」って気が付くのであって…(後略)

 

 

“好き”とは。

 

 

そういえば前述のアイドルグループを推していたオタク仲間が、
「〇〇くんがふと生活の中で『俺のオタクって誰がいたっけな』って思い出すときに、3番目までに思いだしてもらえるオタクでありたい」と零していた。もう5年以上経った今でも心にピッと引っかかっていて、時々思い出している。

大好きな人の生活に入り込めたら。
大好きな人の頭の片隅に私がいたなら、

まぁ、実際その子は身内の私から見ても推しから贔屓されていたわけなんだけども。払う金額も見た目の良さも、明らかに周りと差つけまくってたし、私信ももらいまくっていた。推しへのスタンスが全然違っていてよく仲良くなったなと思うレベルだったが、心のどこかでずっとうらやましく思っていた。嫉妬ゼロの羨望の気持ち。

例えば、現場の日にオタクがかわいい服やネイルや髪型で来たりとか。
電子化の時代に、わざわざ手書きでお手紙をしたためて送ってくれるとか。
日常生活でふと「こういう服、推しに似合うな」とか。
きっとオタクによくあるそういうのも、そういうのが全部、「好き」なんだろう。

 

“好き”とは、

*1:映像探したけどごりごりに違法アップロードだったので気になった人は各自検索してほしい